スピリチュアルに生きる
私がスピリチュアルという言葉や概念に初めて?改めて?出会ったのは、今のブーム的なことではなく、その頃、通っていたカウンセラー系の資格取得のための講義でのことでした。
その講座は日本でも有名な精神科医、有識者から講義を受けられるというもので、内容も濃いので、濃密に学んだ記憶があります。十数年前のことでしょうか?
そこで、健康についての定義をWHO(世界保健機構)が、健康の定義の4つ目にスピリチュアル(霊性)ということを加えたということを、その当時、複数の精神科医などが、述べられ、、、、、
これは一大見識に値すると、医師、識者自身もなんだか、とても新しい時代の幕開け的な口ぶりに、私の触手が「これだ~!」と、大きくうごきました。
私はこれから、このスピリチュアルという世界へと入ってみようと、なぜだか?強く思いました。
宗教色の薄い日本でスピリチュアルを訳すのは難しく、霊性というなんだか、ちょっと怪しい感じになりますが、よくよく考えれば、私たちは霊長類です。古くはわかっていたのですね。
私はこの霊ということを「思い」=「意識」=「魂」=「エネルギー」というように、ちょっと幅を持たせて解釈しています。
そこで、人間は身体という一面もあり、また、霊という一面もあるというのが、人間本来の姿です。
身体は限りがあります。霊は永遠不滅のものといわれています。各宗教には、そのあたりのことが、宗教らしく教えられていますが、宗教も基をたどれば、自然の法則を説いたもので、それを今は個人で知って、使ってゆく時代になりました。私の祖父は僧侶でしたが、おぼろげながらの記憶を遡り、何をしていたのか?今から思い出せば、、、、、弔い的な儀式は別として、主には今でいう、心理療法のようなことでした。
悩める人を「思い方」「見方」をかえることにより、辛い人生から抜け出させてあげるようなことを施しとして、していましたから、形は違えども、今、私がDNAを受け継いでいるということです。
私の代で、そのお寺も、私の旧姓も、継承するものがいなくなり、私が見届けるという役目のようです。名前や職の形は違えども、その「思い」は継承しているということで、ここで、形としての名前などはジ・エンドです。(凄いオヤジギャグですが、私の旧姓は遠藤です。寺遠藤、じえんどう、ジ・エンド、、、(笑))
これも、生前はこだわり続けていた父の必死な名前、職の継承の願いが、本来のところへ帰還してからは(あの世)その霊(思い)を感じなくなりましたから、私はこの現象を広げて考えてもいいと思い、そのような世界観が、やがては、やってくるとさえ考えるようになりました。
よって、墓問題や継承にお悩みの方は、そうです。とはハッキリといえませんが、私が個人的に確信を持ち今後の世界観を予測してみた場合、一番大切な「見えないところのもの」は受け継いでも、形やしきたり的なことは今後、継続可能な、もう少し現実的なものになると考えています。
ちょっと、本題からそれましたが、スピリチュアルとは、本当はそんなに軽いことではなく、人間の根源的側面のことをいって、それを含めた生き方に今後転換しないと、、、、、、という考えにまで、世界中の精神を診る各方面の専門家が、今の精神医療に限界を感じて、自らも病んでいく人が多く、これからは、そういう見えない世界をも含めた世界観が重視されることは間違いないということです。
スピリチュアルは、いつの間にか、華々しい世界を作って、商業ベースに乗っていますが、それを現実の逃げ場としていても、いけないということです。現実をちゃんと地に足つけていきること、これがスピリチュアルに生きるということで、ちゃんと自分が自信を持ち幸せにいきていれば、スピルチュアルという概念はいらないともいえるのです。
(なんだか、また、お堅くなりましたが、これが、本日お題として出てきたもの(笑)です。反面の超、お気楽、軽い私とセットで考えて下さい、、、、、)
宇宙にはバランスが働いています。プラスもマイナスもなく、エネルギーとしての自分があるようです。光は当たれば影を作ります。その光りと影は一緒の分量のエネルギーを持っています。
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